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石巻で一日災害支援ボランティアをして分かったこと。 2011/05/17

Posted by yuichirofuji in 休日.
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もともとGW中での参加を検討していましたが、GW後のボランティア数減少が懸念されていたのでGW一週間後である先週末行ってきました。

僕が参加したのは、東京タワー1Fに本部を置くアースデイ東京タワーという団体が企画する週末ボランティア。
金曜仕事を終わらせて、そのまま集合場所である東京タワーへ。
21時から説明を受け、22時にはバスに乗り東京を出発。

深夜バスは久しぶりで、延々と続く水田に月が映る風景をぼんやりと眺めながら、気づいたら眠りこけておりました。

基盤災害支援の用途であれば高速料金が無料になる制度があるらしいのですが、申請方法が逐一変更されるために、団体側も高速道路の料金所の方も一瞬戸惑い、手間取る場面もありました。
NEXCO東日本のサイトに「災害派遣等従事車両の通行方法について」として情報が開示されています。しかしこうした免除は、個人の支援活動に対しての適用が難しいようです。

朝6時頃、石巻専修大学に到着。ここは高台なので津波の影響はなく、地震の影響も外見では見受けられませんでした。とても優雅で素敵な校舎・キャンパスです。

東京から乗ってきたこのバス。見た目は普通のバスと同じですが、燃料に廃食油(使い終わった天ぷら油など)を使用して走っています。廃食油をそのまま使用できるわけではないのですが、精製してBDFという「植物性ディーゼル燃料」に変えて軽油の代わりに使用できるとのことです。
もともとリボーンという団体が、このBDFで走らせるバスを「天ぷら油バス」と名づけ、いわゆる「エコ」関連の活動をしている人々・団体・土地(ざくっとした愚直な説明ですみません)を訪れるツアーを企画しています。
今回参加した週末ボランティアという企画は、アースデイ東京タワー単体で企画されているわけではなく、リボーンを含め多くのNPO・団体と連携して復興支援をしているようです。

また余談ですが、杉並にある「いたるセンター」という社会福祉法人で、知的障害の方々がBDFへの精製を行えるように調整している、というお話も伺いました。

石巻ではまだ桜が咲いていました。

この石巻専修大学は、石巻でボランティア活動をしている方々のベースキャンプになっており、キャンパスのグランドにはテントが多く張られています。

南堺生活センターという地元の公民館に家賃を払い、ここを拠点にアースデイ東京タワーは石巻でのボランティアを行っています。

報道されている通り、市街地へ入るとまだ片付けきれていない瓦礫の山が多くそのままの状態で残っていました。これでも震災直後と比べると大分片付いているんだそうです。

石巻市立湊小学校では、避難所として石巻市民の方々が生活をしています。

今回参加した週末ボランティアに割り振られた仕事は2つ。
ひとつは、瓦礫の中から自衛隊やボランティアの方々が見つけ出した写真を洗浄して、持ち主のもとへ返却できる状態に再生する作業。
もうひとつは、小学校の裏にあるお寺の墓地に体積している泥かき作業でした。
僕はお寺の墓地の泥かき作業に参加しました。

墓地には、津波で流された車が約10台ほどが墓石の上で折り重なっていました。
「非現実的」と感じる方も多くいたようですが、僕はこの目の前の光景をみて、この土地で起きている現実をただただ受け入れるしかありませんでした。

お寺の中はひと通り片付いていました。
住職さんのお父様は、震災後の津波により居間で亡くなったという話を聞きました。
海岸にある工場から流された冷蔵庫などが、この本堂に突っ込まれていたそうです。

床下には石灰のようなものが撒かれていました。
石灰や重曹は臭いを消すので、ヘドロの臭いを防ぐために撒くようにしているのだと思います。

山門の左側の部分は、そのまままるごと墓地の方向へ流されていました。

山門の中に入っていた年輪を3人がかりで移動。

泥かきというのは、このように積もったヘドロを写真のようにスコップですくい上げ、土嚢入れに入れては集積場所に運ぶ、という作業の繰り返しです。

10時頃から15時まで、定期的に休憩を挟みながら泥かきを続けました。
若い人も、自分の父親くらいの年齢の方も、みんなひたすらヘドロを集めては土嚢入れを運ぶ。
なかなかの力仕事ですので、13時を過ぎたあたりからだんだん口数も少なくなり、ただひたすら作業を続けていました。
でも、同じことを同じ意志で行っている空間には、不思議なことに強い一体感が生まれます。
作業を重ねるごとに、お互いがちょっとずつ打ち解けていく感覚が、とても印象に残っています。

15時に作業を終え、住職さんにお寺のお話を伺いました。
この写真の「大慈堂」は、本堂よりも少し高い位置にあるのですが、津波が床ギリギリで浸水せずに済んだそうです。

僅かな時間でしたが、作業が完了したあとはバスへ乗り込み、東京へ向かいます。

震災後から、多くの人と同じように「何かできることはないだろうか?」と考えて手段を調べていたものの、なかなか行動を起こせませんでした。

もし私たちが被災地に赴けば、自覚はなくとも誰かのものを奪うことになるのです。
もちろん、自分たちが被災地で何らかのものを奪う以上のものを与えることができるのであれば、行く意味もあるでしょう。でも、何ができるか具体的に分からないのであれば、勇み足で出かけていくよりもまず、日常の自分の居場所からできることを考えてみることが肝心ではないでしょうか。
http://www.higan.net/navi/2011/03/post-672.html

震災直後にこのような記事を読んで、ボランティアへ行くことがどれだけ役に立てるのかが分からなかったし、役に立てるタイミングも掴めないでいました。

長期のボランティアでないと意味がないのではないか、短期のボランティアはただの物見遊山に思われてしまうのではないか、など様々な思いがありました。

しかし、実際に被災地へ行って清掃の手伝いをして感じたことは、「たった1〜2日だとしても人手を必要としている場所はある」という事実でした。

たしかに、10〜20名が半日作業しても、墓地のほんの一部分の清掃しかできないくらいなので「微力」ではあります。
けれど、これまで墓石で塞がれていた通り道を通りやすくすることができたし、ヘドロで滑りやすかった場所も歩きやすいように変えることができた。

GW後はボランティアの数が激減したので、それまで進んでいた片付けが急に行き詰ってしまっている現実があります。
僕と同じように、モチベーションはあるけどタイミングを見失っている人がもしいれば、是非いま参加して欲しいと思います。

たしかに「役立ちたい」という気持ちが、次第に「善意の強要」になってしまうことは避けなければいけません。「せっかく行ったのに、思ったような作業ができなかった」と思ってしまうエゴは、必ず排除してください。

どんな作業でも、役に立たないことなどありません。
その行動は、直接でなくても、必ず誰かの気持ちを支えているのだと思います。

帰りのバスで、一ヶ月滞在していた美容師の方がこんなことを言っていました。
「自分が思っていたよりも、現地の方はみんな明るかった。」
決して被害による傷が数カ月で癒えるわけはないのですが、それでも現地の方は現実と向き合っているんだと思います。

是非迷ってる人には、積極的に参加して欲しいと思います。
僕も今後定期的に活動しようと思っているので、なにか情報がある方・踏み出せない人は連絡ください。
yuichiro.fuji@gmail.com

■災害ボランティアの一部
・アースデイ東京タワー ボランティアセンター
http://www.edtt311.info/
・ap bank 災害復興支援ボランティア
http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/
・ピースボート災害ボランティアセンター
http://www.pb-kyuen.net/

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