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自国の美しさを世界に届ける時代〜デジタルの風に乗せて 2013/02/17

Posted by yuichirofuji in 想念.
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先月末から話題になっていたようですが、
僕は今日になってFacebookで知りました。

augment5という方々が制作した動画で、日本各地の観光地(美濃や草津や京都などなど)の風景が数分の映像にまとめられています。

その瞬間にしかない温もり。
そして日本の土地が持つ湿った空気感を絶妙に映し出す陰陽。

華麗なピアノに合わせて、ページをめくるように切り替わる美しい風景。通り過ぎる人たちの横顔。

Vimeoにたくさんの動画が上がっているのですが、一気に見てしまいました。

誰かと一緒にいる時間の尊さや、街の空気の輝きを感じる様が鮮明に描かれているような気がして、本当に素敵な映像です。

以前、日本のレンズメーカーSIGMAのプロモーションムービー(制作:BLUE DOCUMENTARY)を見たときに、「日本が持つ独特な美しさ・細かな技術・人の暖かさ」を世界に届けることができる時代なんだと強く感じました。
誰でも映像が作れるようになってきた現在、このように各国の魅力をそれぞれのクリエイター達がお互いに発信し始めています。

日本の観光地が、外国の方々へ直接魅力を伝えることができたり
地方のものづくり工場が、映像を通して世界中のお客さんと直接対話をする。

装いがない、ありのままの魅力を伝えている映像こそ、人の心を打ち、世界に届くのだと思います。そして僕自身が、そういった映像を作ってみたいと思いました。

いまはりんご飴(⇒http://ringo-a.me/)というメディアを運営しているだけなので全然関係ないことをしていますが、少しずつそういった創作につなげていけるものを作っていきたいです。

「ボクナリスト」というサイトを始めました。 2011/11/01

Posted by yuichirofuji in 想念.
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なにか頭のなかでずっとモヤモヤさせてたものを、形にしようとすることがこんなにも辛いものだとは、想像すらしませんでした。しかしようやく形になりました。

形に出来たことを期に、そのモヤモヤ考えてきた軌跡をつらつらと書かせていただきます。

かつて僕は、あまり深く人と向き合おうとしていなかった、という自責の念があります。

たとえば家族。
うちは父方の祖父と祖母が別居していて、祖父とは同じ屋根の下で暮らしたことはありません。
そんなことも別にどうとも思わないくらい、親は平和な家庭を築いてくれ、僕はぬくぬくと育ってきました。

しかし僕も大人になり、一人暮らしを始めた3年前。家の側に、その祖父の家があるのを発見したのです。
その祖父の家には実際には誰も住んでおらず、でもたまにその家の前にたまたま居た祖父とばったり出くわしたりしました。
どこか余所余所しい感じは否めないですが元気に挨拶したりしているうちに、僕はどんどん祖父のことが気になり始めたのです。

おじいちゃんはいったい、どんな人生を歩んできたのだろう。

そんな思いが募ったとき、僕は祖父に「インタビューをさせて欲しい」といった手紙を書きました。
切手も貼らずに、直接郵便受けに入れて、祖父から返事が来るのを待とうと。
なにか新しいことが起きそうだ!とワクワクしていました。

その二日後に、母方の祖母が家で一人で亡くなっているのが発見されました。
今年の1月のことです。

どこか僕は、日常がずっと続くものだと勘違いしています。
しかし時は確実に経ていき、失われるものは失われるのです。

祖母が亡くなる前の1年間で、僕が祖母と会話をしたのは、
きっと一時間にもならないんじゃないかと思います。

僕は、人とちゃんと向き合って生きているのだろうか。
ただただ過ぎ去る時間と人に翻弄されて、大事なものを見失ってないだろうか。

そんなことを考えることが多くなりました。

結局は、完璧に時間を作り、身の回りの人やものを大事にして生きることは、不器用な僕にはできっこないなと、うっすら分かり始めていたのですが、
それでも、少しでも物事を大事に捉えたい、という気持ちが日に日に強くなりました。

そんななかで起きた3月11日、東日本大震災。
ものすごい数値の死者数を前に、僕はあまりに自分が人の命のことを有象無象に捉えていることが嫌になり、実際に東北へ行って起きていることをリアルに感じてこなければ、と思いました。

そして3度ボランティアとして石巻やいわき市へ赴きました。

今思うと、この行動が少しだけ僕を変えさせてくれたのだと思います。
頭で色々うだうだ考えてないで、行動を起こせば何かが変わっていくし、間違っていれば動きながら軌道修正すれば良いんだ、ということです。

そこから一気に、モヤモヤ考えていた「人とちゃんと向き合えているだろうか」という問いに答える「何か」を形にしようと思い始めました。

ちょうどその頃に、友人のブログにこんな言葉がありました。

若い頃の自分とは違って、ある程度ちゃんと自分の好きなものが選べるようになってきた今だからこそ、
やらなければならないことがあると思う。

そう、もう気持ちは決まっていたのです。あとは行動のみ。

それから一気に、人と向き合うことを大事にしたメッセージ性のあるものを制作しようと構想を続けました。
それは、祖父へ何気なくお願いした「インタビューさせて欲しい」へ帰着しました。

身近な人にインタビューをして、その人たちの面白さや美しさや格好良さを文字として表現する。
そんな活動を、色んな人がやり始めたら面白いんじゃないか。
人と人が、予定を合わせて、膝を突き合わせ、時間をかけて用意した質問をもとに、どこかぎこちない空気の中一生懸命相手を知ろうとする。

そんな、日常に「インタビュー」という歪なコミュニケーションを取り込んでみようと訴えるサイトを、10月30日公開しました。

人ひとりひとりの生き方があることを象徴したくて、
その人なりの生き方を全うしている方々を指し示す造語
ボクナリスト」という名前のサイトです。

だらだらと書いてしまいましたが、
何故自分がこれをやっているのかというおさらいを勝手にしていました。

インタビュー記事第一回目は、吉祥寺に住み始めて出会ったダンサー陽茂弥さんです。

まだまだコンテンツの量は少ないですが、
すこしずつ色んな方向へ活動を展開していけたら楽しいかな、と思っています。

本当に長くなりましたが、
是非お時間があればたまに覗きにきてください。

ボクナリスト」。よろしくお願いいたします。

http://bokunarist.com/